2007年09月23日

人の辛さを共有するということ

今でこそ、アレルギー疾患を沢山の人が知ってくれるようになりましたが、私が幼い頃は「我侭病」「親の過保護」だと言われ、小学校6年間は学校の担任からも、同級生からもいじめを受けました。

給食前に下校するように担任に言われ、お弁当にはいたずらをされ、あるときは集団リンチにもあい殺されかけました。

対人恐怖症。ひきこもり。不登校。

私の小学校6年間の記憶はほとんどありません。

だからこそ、病気を理解されない悔しさ、辛さは痛いほど分かります。

無理解により追いやられている子供たちや病気の人たちを助けたいと思うとき、募金という応援の仕方がもっとも入り易いのかもしれません。

でも、一番大切なことは、一人でも多くの人がその疾病について、理解を深め、自分と同じ命なのだと心から思い、接する優しさです。

3歳の頃、角膜剥離で失明したことがあります。

人が手を引いてくれることがかえって怖く、動けなくなりました。

11歳のときには頚椎を3本潰し、視覚、聴覚、言語の障害。触覚麻痺により歩行困難になったことがあります。

人がいたわりの目で見てくれることに過敏なほど不快感を感じました。

重病患者やハンディがある人に、何かしてあげたいと思う純粋な心を持つことは素晴らしいことです。

でも、けして自分の思いに賛同しない人たちに対して、怒りをもつ必要はありません。

自分と同じ命なのだと相手に伝わればよいだけなのではないでしょうか。

「自分とは自然から分かれた存在」なのですから、この宇宙にある全ての生命に無駄な存在など一つとしてありません。

沢山の人の賛同により、助けられる命があれば、同じ病気でも、日の当たらないところで、闘っている命もあります。

経済的事情で身動きできない患者も沢山います。

賛同を得られなかった患者は、運が悪かったのでしょうか。

お金がない患者は、生きることを諦めなくてはならないのでしょうか。

8月下旬。従妹の4歳になる娘が、自宅から外出してわずか4分後に交通事故で亡くなりました。

外傷は一切なく、脳内出血で即死でした。お人形さんのように可愛い亡骸でした。

従妹夫婦は、「これ以上、傷つけるのはいやだから」と死因を調べるための解剖を拒否しました。

もし、日本で15歳未満の移植手術が認可されたら、真っ先に医者から臓器提供の願いがでたかもしれません。

従妹夫婦は、もし、そういうことがあったらどうしたでしょう。

私の娘であったのなら、どうしたでしょう。

2005年11月の記事の記録があります。イタリア人男性が交通事故による植物状態から2年後に意識が戻ったという話です。

私がお会いしたことがある女性も、死後2日後に葬儀中に生き返りました。

そして、私も数回にわたる心肺停止のときに、臨死体験をしています。

改めて、世界中を見渡してみると、脳死=植物状態になってから、数年、十数年後に意識が戻ったという事実もあります。

19年後に植物状態から覚醒したアメリカの青年もいました。

脳死=死と簡単に受け入れることがどうしてもできません。

若い命であればあるほど、臓器提供者の家族も臓器移植希望者の家族も、辛い選択を強いられることになるのでしょう。

難しい問題だからこそ、周囲も慎重に考えて欲しいと思います。

posted by おたま at 04:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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